雑ネタ




「GET SMILE」で“美しい日々”が「森高ランド」以後“思い出の日々”に変更された理由は?

作詞者の伊秩弘将さんは最初、別の言葉を探していたが見つからなかった為、
「森高ランド」で新しくアレンジするのを機会にもっとふさわしい言葉に入れ替えた。

「千里」と書いて「ちさと」と読む駅名はここ

1.JR西日本・高山本線 千里駅
2.近鉄名古屋線 千里駅

「この街」の泊川はどこ?

北海道島牧郡島牧村
作曲家の高橋諭一さんの実家が近くだとか...
因みに森高さんはまだ行った事が無いらしい

島牧関係リンク
http://www.tokeidai.co.jp/shimamaki/
http://www.tabi-hokkaido.co.jp/shimamakikanko.html

意外なところに...

1.シンコー・ミュージック刊「I LOVE YOU I MISS YOU」(赤松裕介著)の帯のコメント
2.角川書店「アキオが走る」(内村光良著)の帯のコメント
3.角川文庫「わかりやすい恋」(銀色夏生著)の写真モデル
4.幻冬舎 「With T 小室哲哉音楽対論 Vol.4」 95年10月「TK MUSIC CLAMP」での対談(TV未放送部分も含む)
わかりやすい恋」は歌手デビュー前の森高がモデルを努めているが、
現在発売されている版数に、その記載は無い。
実は9版くらいまでは載っていたのだが...
初版は昭和62年12月18日発行。現在は60版ぐらいまで版を重ねている。

因みに、撮影は銀色夏生さん自身で、撮影場所は北海道の稚内と礼文島。
(同著者の「つれづれノート」 p.76 と p.160 より)

カバー折り返し部分のスタッフ一覧

【追補1】
銀色夏生さんの話では 「歌手デビュー前」 ということだが、撮影されたのは87年の夏ではないか?
明星87年10月号に礼文島に行って来た話が載っている。
【追補2】
最近(2003年)の版数のものには森高の写真は載っていないらしいが、未確認。

森高さんの言葉1

「(デビューして)この8年間本当にいろんなことがあって、ブン殴ってやる、
 と思ったこともたくさんあった」 (STEP BY STEP 第一回放送?)

「この世界は、火の無いところに煙が立つんです。私、気にしないように見えて、
 けっこう気にする方なので、私の口から出た言葉だけを信じて、あんまり変な噂は
 しないようにして下さいね。」 (出所不明)

・(カラオケで)「学園天国」とか「BREAK OUT!」とか歌う。
・盛り上がると椅子に乗って歌う。
・コードがテーブルに巻き付いてグラス3個割ったことがある。(^_^;;;

ファンクラブ・ジュリアFAQ

・事務処理(入会、更新、発送など)は時間がかかる(3〜4週間位のスパン)
・コンサートチケットの先行予約は予約案内にも書いてあるように、一般発売より先に確保できるだけで、
 必ず良い席になるとは限らない。
 …が、東京から地方遠征するような場合は、そうとも限らない。(^^;
・森高さんの予定をリアルタイムに把握している訳ではない。(^^;
 (やはり、雑誌・ラジオ等をマメにチェックするのが基本ってことで…)

高額納税者

順位 氏名   職業  95年分所得税額 94年分所得税額 (単位:万円)
----------------------------------------------------------------------
29 森高千里 歌手       2,140     1,191

〜朝日新聞千葉版より

空耳アワー

・アルバム「ペパーランド」の中の「ROCK ALARM CLOCK」で最後の方に入っている妙な声は?

ドラムを叩き終わった時、「きつぅ」と言ったのがそのまま録音された。
〜「千里の道も一歩から」より? (放送日不明)

子供のころ

・小学生の時は学級委員。
・男の子とはよくケンカしていた。(^^;
・泣いて帰ってくると家に入れてもらえなかった。
・父親は「自分が正しいと思ったらやっつけろ」というタイプ。(^_^;

オレンジヒル

・森高さんがブレンダーと作った紅茶...自分としては一番のお気に入りの紅茶。
・森高さんのお父さんが阿蘇の麓で経営する喫茶店。
 (OPEN AM11:00 CLOSE PM8:00 季節により変動有り 木曜日定休)
写真1 写真2 写真3

※2005年9月 看板が外され閉店されているとの情報あり

藤生ゆかりさん あるいは M's BAND

アルバム「NEW SEASON」や 「ミーハー」、ビデオ「LIVE★GET SMILE」で Background Vocal を努めた女性。
初期の音楽番組にも M's BAND として出演していた。
歌手としては 1994/10/21 「上手くゆく恋ばかりが恋じゃないのならば」でデビュー。

プロフィール --- GiRL POP(1994 Vol.10)より ---
87年、森高千里のアルバムにコーラスとして参加したのをきっかけに作詞・作曲で活躍。
代表曲に久松史奈の「天使の休息」がある。

本人承認のファンクラブサイト
http://plaza2.mbn.or.jp/~nisshi/yukari.htm

関連リンク
ミラクルシャドウ: http://member.nifty.ne.jp/mirasha/index.htm

森高さんの言葉2 (from キイトカナイト)

でも、デビュー当時とか写真写り悪くってみんなにボロくそに言われましたよ。
「眉間にしわ寄せないで、もうちょっと優しい顔して」ってよく言われてた。
それがすごくイヤだった。
自分では普通にしてるつもりなんだけど、やっぱり緊張してるんだよね。

おねえちゃ〜ん、思春期の僕はちょっと困っているそうです。
私は逆で、お兄ちゃんがお風呂からすっ裸で上がってきたらしいんですよ。ちっちゃいころね。
で、「見えてる、見えてる♪」とか言っておちょくったみたいで。(笑)
それでお母さんに「あんたはね、こんなことお兄ちゃんに言っててね。お兄ちゃんはそれからパンツを
はいて上がって来るようになったのよ。」って言われて・・・
「ウソ、悪いコトしたな」(笑)って思いながら。そんな妹だったんですよ、私は。
とんでもないですね(笑)。

私は縁起はかつがない方です。
だって1回しちゃうと、それからずっとやらなくちゃいけなくなっちゃうじゃないですか。
例えば歌う前にコレをやるとか決めちゃうと、それをしないと安心できなくなっちゃったら嫌だし…。
でも、ラジオやテレビで風水をやってて、こうするといいとか言ってると、ついやっちゃう自分もいたり
するんですけどね。(笑)

ということで、今夜は「冬は美味しいスープであったまっとかナイト!」で、
スープの話をいっぱいしましたが、あったか〜い気分になってもらえましたか?
特に受験生の人達は、スープで芯からあったまって風邪を撃退!
ぜひ、いい結果を出して下さいね。そして結果が出たら、私にも報告して下さい。
お便り、メールお待ちしてます。
他にも私に行って欲しい場所… ♪グルルルル〜♪  あ、お腹なっちゃった!(爆笑)
さっきスープをたくさん飲んだばかりなのにぃ…。(笑)

斎藤英夫さんと「私がオバさんになっても」

〜日本経済新聞1996年6月8日付朝刊34面〜
1958年生まれ、慶應大学工学部出身

以前は http://www.nikkei.co.jp/nikkei-x/contents60/art.html にその記事が載っていたけれど、
今はもう消去されたみたいなので、一部を抜粋して紹介。(汗)

『森高はオリジナル曲の殆どを自分で作詞しているが、この大部分は先に曲があって、森高が後から歌詞をつけている。
しかし、作詞に時間がかかると録音が遅れ、作品の発表時期に影響が出てくることもある。
ある時、このままでは間に合わないので、前のアルバム用に作ってあったけれど結果的に使わなかった歌詞を使うことになり、
斉藤さんがこれに曲をつけた。これが「私がオバさんになっても」である。』

この曲はもともとシングルにする予定もタイアップがつく計画もなく、アルバムの中の1曲として作られた為、
かなり自由に作ることが出来たらしい。

ボーカルスクール

レコードデビューする前に、基本をしっかり覚えて自信をつけたかったので自分から言いだして、
熊本は上通りにある大谷楽器のヤマハポピュラーミュージックスクール (YPMS) のボーカル科で
ベーシック講座を受けた。そこではグループでボーカルの基本発声や姿勢、音楽用語などを勉強し、
また別の時間には福岡のヤマハ西新センターで個人レッスンも受けた。
歌を習う前に東京でデモテープを録った時には悲惨な結果だったが、このボーカルスクールに通ったおかげで
2度目に録った時にディレクターから雰囲気が随分良くなったと言われて、やっと歌の楽しさがわかってきたと
思ったそうだ。

森高さんの言葉3 (from キイトカナイト) 多少編集しています

1998/01/15
−−「成人の日」の思い出−−
成人式の思い出というと、軽井沢でライブをやってたんで、式には出れなかったんです。
そのライブが終わった後に、スタッフからケーキをもらったんですが、「おめでとう。じゃ、お疲れさま!」って言われて、チョット悲しかった。

−−千里 vs スタッフ−−
17才で東京に出て来て、仕事をしながら学校にも通っていたんですが、やっぱり仕事場でも子供扱いされててそれがすごい嫌だったんです。
ライブが終わった後に打ち上げをするんですが、私は1次会で「じゃあ、お休み」って言われて、スタッフは「これから飲んで盛り上がろう!」って
いう感じで・・・。私も行きたかったんですが、未成年だし連れてってもらえなくて、すっごく嫌な顔をしてたんでしょうね。
スタッフもその気持ちが分かったらしくて、一旦は一緒にホテルに帰るんですが、その後でみんなそ〜っとまた飲みに出かけたり…
でもっ!私は知ってたんだな。(笑)
だから20才になった時は、「わーい!これでお酒も飲める♪」と嬉しかったです。
でも、スタッフはやっぱり子供扱いしてましたね。(笑)

−−初めて見たコンサート−−
中学の時に友達に誘われて行ったのが中原理恵さんのコンサート。
これは友達からチケットをもらって行ったんですが、自分でチケットを取って行ったコンサートといえば「ゼルダ」かな?
これが一番最初のコンサートでした。

1998/02/05
−−失恋話−−
私の歌で「若すぎた恋」というのがあるんだけど、すっごい失恋した時にこの曲を聴いて、ワンワン泣きました。
歌手になってからの話なんですけどね。あ、言っちゃった。(笑)
(JUNON 1989年1月号により詳しい話が) (^^;

1998/08/11
−−寡黙なパパ−− (^^;
でもね、うちの父親はやっぱり「反対だ」というのは言えないんだけど、東京に出て来るまで…転校の手続きとかあったから3ヶ月位あったのかな?
その時にね、全然しゃべってくれなかったんですよ。「お父さん」とか言っても、「うん」とか「ああ」とか、それ位しか言わなくて…
私は機嫌良くなってもらいたいからお茶持って行ったり、新聞持って行ったりしていたんだけど・・・暗かったね〜。
でも、何か相談した時に、「とりあえず頑張れ」と…、「何かあったら俺が行くから」と…
「ああ、なんかやっぱり父親だ〜!」ってすごく思いましたよ。

1998/07/07
−−嘘つきちーちゃん、心を入れ替える−− (^^;
私とお兄ちゃんとで、なんか秘密の話をしていたんですよ。それが何かのきっかけで、お母さんにバレちゃって…
「なんで私に言わないのっ!」って、すごい怒って、それから1週間ぐらい喋ってくれなかったんですよ。
私、うちのお母さん恐かったんですけど、大好きで、喋ってくれないという事が今までは無かったので、
それがすごい恐くて、すごい悲しくて…、こういう嘘は母親だけにはしてはいけないんだなぁって思って…
一番理解して欲しい人だったから、自分を一番心配してくれる人には言わなくていけないんだと、この時思って…
それから結構なんでも話すようになりました。

−−家父長−−
一番偉いというか、発言権というか、威厳があるのは、やっぱりお父さんですね。一家の大黒柱として頑張っている
お父さんという感じです。何故そういう風に私が小さい頃から思っているかというと、うちの母は父をたたせる…
例えば、お風呂は一番最初にお父さんが入るものだと…、きれいなお風呂はお父さんが最初に入るものだと…
でも、体育の時間とか部活で汗をかいて帰って来るじゃないですか。で、お父さんが遅いと入りたくてしょうがない。
そういう時は、母に「入っていい?」って、とりあえず確認をとって、「いいよ」と言われてから入っていました。
お父さんは疲れて帰って来るんだから、最初に綺麗なお風呂に入らせてあげなくてはいけないというのが、
もう当たり前になっていたから…
でも、いろんな人にこの事を話すと、「それ、すごいね」って言われて、「ああ、そうか」って…
ご飯とかも、お父さんがもうすぐ帰って来るのがわかっている時は待っていました。

1996/12/19
−−兄妹−−
私と兄は3つ違い。森高兄妹は意外と仲良かったですよ。つかみ合いのケンカもしてましたけど…。(^^;
私は家に帰ってテレビ見終わってからとかも、兄の部屋に入りびたってることが多かったですね。
最近流行ってる音楽を教えてもらったり…。
あと、兄が親に内緒で楽器を買ったりすると、「ちー子、ちー子」とか呼んで見せびらかすんです。
「お母さんに内緒だぞっ!」なんて言うんですけど、私は後で「お兄ちゃんまた新しい楽器買ってたよ♪」とか
チクってました(笑)。

瀬戸ディレクターと事務所の方針

森高はアイドルなのか、アーティストなのかという声が出るが、それについて瀬戸Dは語る。

「よくそう言われるんですけどね。あまりそういう事は考えない、というのが正直な気持ち。
今までも、こちらがガーガー言っても彼女が動かない限り、何も面白いものは生まれなかったからね。
結局、今の森高にとって何が面白い事なのかを考えて、彼女が好きに出来る環境を作ってやるのが
僕の仕事だと思ってるんですよ。

だってね、今でもこんなに売れるなんてオカシイと思ってるくらいですから。
特にシングルに関しては“売れないもの作りますよ”なんて、事務所の社長にも言ってるんですよ。
そうすると社長も “おお、いいよ”なんてね。(笑)
普通はこうはいきませんからね。事務所にその辺の理解があるっていうのも大きいですね。」

「だから、シングルヒットを出す為の戦略、ノウハウを持ってなかったんですよね。
それに、芸能界的なやり方もしたくなかった。その結果、今のようなやり方になった、という感じです。」

「芸能界650社ベストセレクション」からアップフロントエージェンシーの紹介記事

【新人採用後の育成方針】
本人とスタッフとの話し合いにより、それぞれのアーティストイメージを明確化。
各タレントが自身のキャラクターを面白がれるような環境作りを第一に考える。
例えば、かつての森高千里の“ビジュアル系アイドル”路線も、本人の意向を活かしたものだそう。

おいでおいで

−−思えば、森高さんの周辺って独自のスタッフがいますよね。作曲は斉藤英夫さんが多いし。−−

「たぶん“森高サウンド”ってものがあるとしたら、その土台を作ったのが斉藤さんですね。
あと、私がみんなを“おいでおいで”して一生懸命呼んだ結果だと思うんです。
もし私の方からみんなのところへ行ってしまったら、それは私のサウンドじゃなくて、
例えば“斉藤サウンド”だったり“カーネーションサウンド”だったりするわけでしょ。
森高サウンドって、ひとつのジャンルじゃないんですよ。
一生懸命、私がみんなを私のところへ引きずり下ろしてるんじゃないかなって思います。(笑)」
(FM STATION 1989/08/07)

好きなもの

私、世良公則さんが好きなんです! 男っぽくて、オレについて来いってタイプだから。
やっぱり、男らしい人がいいですね。優柔不断でない人が。

−−今、ものすごく欲しいものとかある?

犬! ちっちゃい犬。プードルが好きだから、プードル飼いたいなぁ。

−−他の動物は?

動物はなんでも好きです。でも、イチバン好きなのは犬!

−−犬のどういうとこが好き?

いやー、ホントにカワイイっていうか、なんでこんなにカワイイんだろ、とか思っちゃう。
人間の言葉、しゃべればいいのにな、とか。
(BGM “Hey! 犬”)
v(^^)

熊本にいた頃は、犬飼ってたんですけど、ふだんと全然違う声で犬にしゃべるから、
友達が来たりすると、スゴク笑われちゃう。
(ザ・シュガー 1987/09)

【参考】
今飼っているプードルのプーちゃんは東京に出てきてから21才の時に飼い始めた。
ツアーに出て家を留守にする時は、友達に預かってもらったり実家に送ったりして、かわいそうなことをした...
(Studio Peachberry 1999.11.06)

シングルになるはずだった 「あるOLの青春」

当初はアルバム「古今東西」から「あるOLの青春」がシングルになる事が決まっていたが、
実はこの曲には4つの詞が候補としてあり、それぞれ歌を入れていた。
最終的にどの詞にするか迷っていた時に、アルバム用の曲として「雨」があがってきた。
聴いてみると歌うには難しそうだったが、シングルにはいい曲だと思った。
また、スタッフも詞が4つもあって迷っている曲をシングルにするより、少し冒険だけれど
今までに無いスタイルの曲をレパートリーに出来れば新しい一面を作れるのでは・・・
という事で急遽「雨」がシングルに決まった。
その為、8/25発売予定が9/10発売に延びたのだが、先行で「あるOLの青春 8/25発売」という
告知が出ていて、ある意味で幻のシングルである。

ブックレットはつけない予定だった 「古今東西」

こんな人も森高ファン

角松敏生のアルバム『Legacy of You』の5曲目と7曲目にこんな曲(インストルメンタル)が・・・

5. Mystical Night Love (CHISATO's Dream)
7. Stress by ストレス (CHISATO M.)


さらにブックレットの最後のクレジットには・・・

IMPORTANT SPECIAL THANKS TO:
CHISATO MORITAKA thank you for your great image's. I'm just your fan.


(曲を提供したが採用されなかった、という話もあるようである)


三浦憲治(みうら けんじ)さん

PROFILE 1949年、広島生まれ。1973年よりフリーとして活動を始め、雑誌、広告、写真集、ツアーパンフ、カレンダーなどで、
ミュージシャン、俳優などのポートレート写真を撮り続けている。


森高千里を呼ぶ会

熊本の八千代にファンの作った「森高千里を呼ぶ会」があって、そのイベントで去年(88年)の12月に帰った…
(from 近代映画 89年3月号 より)
※八千代は八代の誤植?


87年の学園祭

『学園祭に飛び入りでステージに立ったことがすごく勉強になったみたい…』
(from 近代映画 88年3月号 より)


初期の頃からコンサート作りへも参加

『(コンサートでは)意外性みたいなのを出していく。
日比谷野音では自分からアイデアを出したりした。マントを使うとか、曲順も…』
(from 近代映画 89年2月号 より)